プロレスの萌えポイントを語る会

〜迷っても行けよ 行けば分かるさ〜

俺のイッテンゴ《KENTA》編

KENTAファンがKENTAファンになってからKENTAの乱入劇に大満足するまでの経緯をただただ書いたブログ記事です。何卒。

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2020年1月5日。昼にプロレスリング・ノア後楽園ホール大会を観戦し、そのまま東京ドームへ移動。新日本プロレス『WRESTLE KINGDOM14』を観戦。

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目当てはKENTAのタイトルマッチ。その一点買い。

 

KENTAがいま新日本プロレスにいなかったら、僕はきっと2020年の年始に東京に滞在してなかったことだろう。ノアのイッテンヨンも観に行かずに富山で正月を過ごしていたかもしれない。

 

 

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2010年8月下旬。僕がまだ小5の頃。夏休みも終盤にさしかかり、憂鬱な気分に浸っていたある日の深夜。

あてもなくテレビの電源を入れ、テキトーにザッピングしていると、衝撃的なプロレスに出会った。

 

2010年8月22日 プロレスリング・ノア 有明コロシアム大会

第4試合

KENTAvs青木篤志

 

タイトルマッチでもなければ、スペシャシングルマッチでもない、ノアのジュニア戦士ふたりによるシングルマッチ

ジュニアの試合だけど、現代ジュニアっぽい試合ではなかった。試合のほとんどがエルボーの打ち合い。しかもヘビーのそれよりハードだった。

互いの意地のぶつかり合いとそれを表現できるだけの確かな強さ。ふたりの凄さを見せつけられた。

 

「小柄なふたりの対戦なのに、ヘビー級選手同士の対戦よりもずっと強さを感じる。これは一体何なんだ?」

 

プヲタ1年目の僕にとって、これは本当に衝撃的な試合だった。

今振り返っても、10年間のプヲタライフの中で、五本の指に入るほどの衝撃。僕の頭の中にあったジュニアの概念…いや、プロレスの概念がぶっ壊された。

その日からKENTAを応援するようになった。

 

 

最初のうちは「試合が凄いから」という理由でKENTAを応援していたけど、次第にKENTAの"軸の部分"に惚れるようになった。 

 

観客数が減少し、団体の勢いが鈍化していた当時のノア。でも、その現状について誰も触れることなく、リング上の戦いだけがただ続いていた。

だけどKENTAは違った。

空席が目立つ日本武道館大会の試合後に「あれが現実なんです。今のノアは武道館レベルにいってない」とコメントしたり、愛のないマッチメークをするなとGMを批判したり。

選手やファンの誰もが思っていたけど口にしなかったこと、そして誰も気付いていなかった問題点の指摘。痒いところに手が届いていた。

 

アイデンティティを確立するために、単にまわりを批判して、「自分が正しい」と主張しているわけではない。

根底に団体愛がある批判だった。

現状から目を背けず、次に進むための批判だった。

 

KENTAは誰よりも野心に燃えていた。それでいて常にクールだった。

そんなKENTAの姿勢がハードヒットなファイトスタイルとリンクしていて本当にカッコよかった。

そこが地続きになるのは必然なのかもしれないけど。

 

 

KENTAが試合内容と言葉を通してファンの支持を得て、ノアを照らすブラックヒーローと化した2011年。

GHCヘビー級王座を獲るだけの実力が既にあったにも関わらずベルト奪取ならず。

GHCヘビー奪取ならず」どころか年間を通してこれといった記録を残すことができなかったり、「これから」という大事な時に長期欠場へ突入したり、と目の前のチャンスをなかなかモノにできないKENTAの、そのどこか不器用な感じさえも愛おしかった。

僕はKENTAの虜になっていた。

 

 

その後もKENTAを応援していた。

KENTAが遂にGHCヘビー級王者となった2013年には、王者・KENTAの姿を見るために富山から上京したこともあった。

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KENTAは、名実ともにノアを照らすヒーローになっていた。

 

 

そして2014年。KENTAはノアを退団し、WWEに入団した。

WWE入団当時は必死に追いかけていたけど、時間が経つに連れて、僕はKENTAを追いかけなくなった。僕が惚れていたKENTAの自分軸が薄れてきているように感じたから。

ノアに所属していた頃のような軸がなくなっていくのが目に見えた。

 

その後は、KENTAが怪我で長期欠場に入ったというニュースや中邑真輔やASUKAといった後から来た日本人選手に追い越されていく状況を見て、「何やってんだよKENTA…」と歯痒さを感じていた。

あれだけ痒いところに手が届くレスラーだったのに、WWEに入団してからは……いや、そうじゃない。

これからという時に怪我を負った時も、GHCヘビーを奪取できなかった時も、歯痒かったけど応援していた。

僕はどこかKENTAにのれなくなっていた。

 

 

 

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2019年6月9日、新日本プロレス大阪城ホール大会。盟友・柴田勝頼に紹介されるかたちでWWEを退団したKENTAが登場。翌月から始まるG1 CLIMAX29への参戦を表明。

これはKENTAファンだった僕にとって、ものすごく熱い出来事だった。

KENTAが「KENTA」として日本に帰ってきたことに興奮したのは勿論、あのKENTAがG1に参戦するというのである。

積極的に他団体に参戦していた丸藤正道秋山準を「中を盛り上げることもできねえ奴が外に出るな」と批判し、ノアの外に一切出向かなかったKENTAが、時を経て、新日本プロレスのリングに上がる。G1 CLIMAXに参戦する。

こんなに熱いことはなかった。

 

 

週刊プロレスのインタビューにて、WWE退団後に選んだリングがなぜノアではなかったのかと問われたKENTAは、

「4年半前に活躍してほしいっていう思いで送り出してもらって、なにもその思いに応えられないまま帰るっていうのも、ただの甘えでしかない」

「“よく帰ってきた”って言ってくれる人もいたかもしれないですけど、そう言ってもらえるようなことなんて、なに一つできてなかった」

「対世界でこのまま終わりたくない」

などと語っていた。

 

久々にKENTAの軸に触れた。何年ぶりかのKENTA熱が出てきた。

 

 

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2019年8月10日。僕は日本武道館にいた。目当てはKENTAのG1最終公式戦。

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2019年夏のKENTAは、僕が知ってるKENTAとは違った。僕が幼い頃に見たKENTAはもっとギラギラしていた。

だけど、Twitterで「つまらない」だとか「塩」だとか批判されているのを見たら、悔しくて悔しくて。自分が幼い頃に惚れた男が批判の的にされている現実は辛かった。

 

そこで「俺がKENTAを見守らなかったら俺終了だろ」という使命感に勝手に駆られた僕は、日本武道館へ向かったのであった。

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試合はKENTAの負け。僕はそれなりの数の興行を生観戦してきたけど、この日のKENTAの負けが一番悔しかった。レッドシューズ海野がゴングを要求した時は頭を抱えた。

 

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でも、この日のKENTAは、僕が小学生の頃に惚れたKENTAだった。

この夏一番の打たれ強いKENTAだった。日本武道館という地、ザック・セイバーJrという対戦相手がそうさせたのか。ギラギラしていた。

負けは負けでも、SANADAやバッドラック・ファレとの公式戦でコロッと負けてしまうようなKENTAではなかった。

 

 

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KENTAのG1最終公式戦を見届けた2日後。2019年8月12日、G1 CLIMAX 29決勝大会。

KENTAが盟友・柴田勝頼を裏切って、まさかのBULLET CLUB入り。

最高すぎた。

 

棚橋弘至からの勝利を見て、iPad越しにガッツポーズしたあの日。

オカダ・カズチカとの接戦に興奮したあの日。

日本武道館で頭を抱えたあの日。

 

この夏の全てが上書きされた。このギラギラこそKENTA。

あの衝撃的なヒールターンを現地で見届けられなかったことは、僕のプヲタ人生最大の後悔。

日本武道館でKENTAvsザックを観て、翌日に青木篤志追悼興行を観戦して、そのまま富山に帰った自分。あと1日、東京に残っていれば......。

今思い返しても悔しい。

 

 

そしてこのKENTAのヒールターンを通して確信した。

 

「来年のドームでKENTAvs柴田だな」

 

8月12日の武道館で一瞬実現したKENTAvs柴田。柴田の動きとKENTAの容赦ない攻めを見ると、これは一日限りなら復帰もあり得るなと思った。

 

「KENTAのヒールターンは生で観られなかったけど、KENTAvs柴田は絶対に生で観るぞ」

 

決まってもいないのに、あるものだと信じ込んで、ただただワクワクしていた。

 

 

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2019年11月3日、新日本プロレス大阪大会。

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「NEVER無差別級選手権試合 KENTAvs石井智宏」と

メインイベントで行われる「IWGPインターコンチネンタル選手権試合 ジェイ・ホワイトvs後藤洋央紀」の試合後にKENTA-柴田間に何かが生まれることを信じて、僕は会場にいた。

 

NEVER戦では、ずっと求めていたKENTAが観られた。

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ハードヒットなKENTA。闘魂燃え尽きぬKENTA。

夏よりも打たれ強さが格段に増していた。

 

そして何より挑戦者を叩き潰す、王者・KENTAの姿に喜びを感じた。

KENTAには常に勝って欲しいし、常に王者で居て欲しいし、常に凄い試合をして欲しい。

 

 

メインのジェイvs後藤のゲスト解説には柴田が登場。あとはKENTAの乱入あるのみだった。

 

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「うおーっ!KENTAきたー!」

 

リングサイドでKENTAvs柴田が再び実現。これはもう続きはドームだなと思った。

 

 

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2019年12月9日。新日本プロレス東京ドーム大会の全対戦カードが発表された。

 

2020年1月4日

スペシャル8人タッグマッチ

KENTA&バッドラック・ファレ&高橋裕二郎&チェーズ・オーエンズ

vs

後藤洋央紀&石井智宏&矢野通&YOSHI-HASHI

 

 

2020年1月5日

NEVER無差別級選手権試合

【王者】KENTAvs【挑戦者】後藤洋央紀

 

東京ドームでKENTAのシングルマッチ(タイトルマッチ)を観られることは喜ばしいこと。

だけど、「まあそうなっちゃうか...」という思いの方が正直強かった。

 

1月4日から1月6日の間、東京に滞在することは確定していたから、1月4日の夜は新日本ドームより面白そうなノア後楽園を観ることにした。

 

 

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2020年1月5日。KENTAvs後藤。

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KENTAが後藤を散々おちょくるも、逆転負けを喫するという展開。

おもしろかった。だけど、エモさがなかった。

「おもしろい試合」ではあったけど、「凄い試合」ではなかった。

 

やっぱり第一に「KENTAの勝利」を見たい。そして第二に「凄い試合」を見たい。

KENTAがエモさのない負けを喫すると、ファンとしてはへこむもので...。

 

NEW JAPAN CUP2020のKENTAに期待しよう

 

 

...と思っていたら。

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ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」の大合唱をKENTAが阻止。そのまま東京ドーム大会が終了。

まさか東京ドーム大会2日目をKENTAが締めるとは。

 

KENTAが乱入した時、客席の内藤ファンたちがマジなトーンでいろいろ呟いていた。

 

「ありえないんだけど...」

 

「うっわぁ...」

 

「は?死ねよ」

 

「ブー!」と一斉にブーイングを送るのとはわけが違う。絶望に一体感などないことを知った。

 

一方で僕は大興奮。KENTAvs柴田を引きずっていた自分も、後藤にあっさり負けたKENTAに落胆した自分も、もうそこにはいなかった。

あるのは「KENTA、ありがとう!これからもよろしく!」という思いのみ。

 

ノアのイッテンヨンでの感動が完全に上書きされた。

プロレスっておもしろいし、プヲタって楽しい。

 

 

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2020年1月7日。内藤哲也vsKENTAのIWGPヘビー&IWGP IC選手権試合が正式決定。

僕はすぐに大阪城ホール大会のチケットを購入し、夜行バスの予約を済ませた。

 

 

 

というわけで今週末は大阪へ。

そして大阪の前に東京へ。

 

長旅になるね。

 

KENTA、勝て!!