AAWを見終えて ~プヲタ高専生の武者修行記~
引き続きAAWの話。
AAWの興行全体を通して思ったことがある。結局どのレスラーもWWEを見て育ってきた人間なのだということ。どのレスラーも客に見られていることを強く意識して戦ってるように見えた。試合中の目線は常に対戦相手に向いてるし、試合のクオリティも相当高いんだけど、観客と向き合ってる感をビジビシ感じた。この人たちは視野が広いなあと。......うまく説明できないんだけど、まあ要するに魅せ方がかなりWWEっぽかった。WRSTLING(デビット・スター&エディ・キングストン)がレフェリーの隙をついてベルトで対戦相手を殴って3カウントをとった時の「してやったり」顔はたまらなかったし、対戦相手だけではなく観客のことまで煽るMJFのマイクアピールは圧巻だった。あれは日本のプロレスだけを見て育ってきた人間がやるのは難しいはず。
「受けで魅せるにしろ、凄い技で会場を沸かすにしろ、まず感情を入れてもらわないとお客さんに試合を楽しんでもらえないでしょ?」
どのレスラーもそんな考え方であるように感じた。そしてそんなレスラーたちがWWEから声がかかってきたら挑戦してみたいという気持ちが生まれるのも当然だよなと。
また、外国人選手たちがよく「日本のファンは海外のファンに比べて、集中して試合を見てくれる」と言うけど、確かにそうだった。試合を見るというよりはベビーフェイスには声援を、ヒールには思いっきりブーイングを送って、試合を楽しむっていう感じ。
会場のLogan square auditoriumは音楽団の演奏会で普段使われていて、2days 1日目の試合中も、よ〜く耳を澄ませると、隣の部屋から楽器の音が聴こえたんだけど、観客が黙って試合を見守る瞬間がないから、これがなかなか気づかなかった。最も隣の部屋に近い最後列に座っていた僕だから気づけたのだと思う。
レスラーの姿勢も違えば、客の楽しみ方も違って、日本の会場でしかプロレスを見たことがなかった僕にとってはなかなか異空間だった。
だけどこれが不思議と居心地が良かった。
勝負論が強く根付いている日本のプロレスが「闘い」なら、AAWで見たプロレスは「戦い」だった。どっちが良いとか悪いとかではなく。戦い抜いた末に観客の興奮があると考えるか、観客ありきのプロレスと考えるか。
AAWの興行は「スポーツエンターテイメント」という言葉がピッタリだった。「スポーツエンターテイメント」ってどうしても軽い響きに聞こえてしまうから、僕はプロレスをスポーツエンターテイメントと称することが嫌いだった。僕が知ってるプロレスは軽々しくそんな言葉で片付けられるようなものじゃないんだよと思っていた。でもAAWの興行を通して「スポーツエンターテイメント」という言葉の重みを知った。
決して大きいとは言えない会場でビール片手に異常なテンションで叫び続ける観客たちに囲まれて、凄い試合をやってのける米インディーレスラーズを見ると、めちゃくちゃ夢を感じたし、プロレスってどのジャンルにも負けない極上の娯楽だなと思った。興行を見終えた後、「あ〜、俺このプロレス大好きだわ」と思えた。
アメリカという広大な土地で生きているレスラーたちが、プロレスをやるために各々のまちからシカゴにやってくる。そこには日本のプロレス界で見られるようなバス巡業システムはなく、レスラー各々が自分の足で会場に集まる。一試合一試合大切にしようという思いで会場を盛り上げて、自分のまちに帰る。一試合や二試合のためにわざわざシカゴまでやってきて、試合が終われば自分のまちへ戻る。こんなに素敵な話あるか?こんなのプロレスを愛してないとできない。米インディー、ロマンしかない。
2009年から始まった僕のプヲタ人生。新日から始まって、ドラゲーが一番面白いと感じてた時期もあったし、DDTの興行の満足度が一番高いと思ってた時期、「武藤全日本でほっこり」期、「ストロングBJ強え!」期、「俺が求めてたプロレス、ここ(WWE)にあるんじゃないか」期、「方舟新章たまらん」期、「初期レスワンに目覚め」期、「秋山全日本のプロレス感たるや」期、「ZERO1こそプロレス」期、「ダムズの会場一番落ち着く」期、「なんだかんだ新日」期、………いろいろあった。何周も回って、巡り巡って、今は「米インディー凄え」期に突入。
プロレス、知れば知るほど。
To be continued...